ユニーク君は今5歳です。今年、幼稚園の年長さんになりました。
今年の3月に彼は広汎性発達障害という診断を受け、知能のテストでも2年遅れだという判定を受けました。
ユニーク君は言葉の発語が遅く、3歳半までおいしい以外の言葉はほとんど話しませんでした。以前の私は言葉が出始めれば、他の子と同じように育つと思っていました。
周りの同世代の子たちが当たり前に会話をしている事を羨ましく思い、いつになったら、彼もそーなるだろうか?と考えていました。
でも、そうはなりませんでした。
幼稚園に入って言葉が出始めても、三語文以上の言葉は話さないし、質問の答えはしばらくおうむ返しでした。
夫があるとき、YouTubeで自閉症の5歳の子供の成長過程を見て、それがまるでユニーク君みたいだったと言ってきました。
それを聞いた時に、
「うちの子は自閉症ではない。発達障害ではない。」
と拒否をしたい自分がいました。
でも、彼を育てれば育てるほどやっぱり周りとは違うという現実を見せられました。
私が抱えていた辛さは、彼が「できない」と認める事ができなかった事です。
ある時、教会の牧師に、
「彼はできないと思う?」
と質問されました。
できないと答えたくない自分と彼の現実を見てできないと思ってる自分をいました。
でも、その時に
「できないと思います」
と答えました。
そうです。彼はできないのです。
三語分以上の会話はできません。じっとしている事ができません。他の5歳児と比べるとできない事がいっぱいあります。
私は、それを認める事をネガティブに受け取っていました。
でも、それを認める事はネガティブな事ではありません。ユニーク君は今のままで素晴らしい神の作品です。
モーセの十戒の中に
「隣人のものを一切欲しがってはならない」
とあるように他と比べる事が罪なのです。
私は、ずっと神の作品にケチをつけていたことに気付かされ悔い改めました。
神様は計画をもって彼を造り、わたしたち夫婦に与えてくださいました。そう気付かされた時に今まで受け入れられなかった彼の行動を愛しいと思うようになりました。
牧師はまた、「ユニーク君はこの共同体に与えられた存在だよ」と語ってくれました。
その時に、私達家族だけではなくこの教会に彼が与えられ、みんなにとって必要な存在であるという認識が与えられました。
わたしには考えつかない神様の計画が彼にある事を信じて期待しています。