ユニーク君は、お風呂でカバの人形で遊ぶのが日課になっている。
いつもはお風呂に置いてあるカバの人形だが、一昨日そのカバは弟くんによって子供部屋に片付けられていた。
昨日の夕食後、彼はお風呂に行き
「カバがいない!ママどこ?」
と聞いてきた。
わたしは、食後の汚い手でおもちゃを触って欲しくないと思っていたため、
「今日は、お風呂にお湯入れないし、シャワーだけですぐ終わるからカバはいいよ!探さないで他のおもちゃで遊んで」
と言って、探す事をさせなかった。
すると、彼はとても怒りパニックになり、泣きながらお風呂を終えた。
そして、彼はまた今日の夕食後
「カバがいない!」
と言い始めた。
またかと思いながら、その話を聞いていると
「カバが欲しいなら、手を洗ってから探しておいで」
と夫が彼に伝えていた。
すると彼は手を洗って探しに行った。
探しに行ったのだが、彼は見つける事ができなかった。しかし、彼はとても落ち着いて
「カバいなかった」
と納得して泣く事もなくお風呂に向かった。
そのやりとりを見て、わたしはハッとさせられた。
わたしは、カバを探したい彼に対して
「さっさとお風呂終わりたいのに、何言ってるんだよー。たかがカバの人形でしょ?なくていいよ!!他の2人もこれからお風呂なんだから」
と考えて、探しに行かせなかった。
その行動に先行していたのは、彼に自分の思う通りに動いて欲しいという事で、彼のことは考えていなかったことに気づかされた。
今日の礼拝のメッセージは、「人の役に立つ=無条件の愛で人を愛す」という結論だった。わたしは、イエス様から無条件の愛をもらっている、だから、無条件の愛で愛す。ただそれだけ。ハウツーはいらない。
わたしが子育てのなかで、状況を言い訳にしている事が示された。それは、まさに条件付きの愛である。
「3人の子育ては忙しいからできない事があってもしょうがない」
とか、
「こうなれば、ああなれば(条件が揃えば)子供達を愛せるのに」
と言い訳をしていた。
そこには、子供達の「役に立ちたい」という思いがなかった事に気付かされ、悔い改めが与えられた。
神は、わたしを無条件の愛で愛している。今日も御言葉を通してその事気づかされ感謝である。